思考散逸

ネットの宇宙の片隅の論理と思考の実験劇場

徒然草とビッグバン

いきなり日常系ですが引き続き毒電波ということでまあいいや。
ちなみに私自身は国文学にもビッグバン理論にも精通しているわけではないので、やや正確さを欠く上にふんわりした文章にしかならないのはご愛敬。間違っている箇所がありましたらご指摘ください。

 

前回記事の締めに徒然草を引用してみました。
勉強する気がさっぱり無かったので古文の成績はダメダメでしたが、徒然草は好きです。今の世にもありそうな、愚痴だか毒だか評論だかよくわからない話の羅列が面白い。前後相矛盾する「さっきと言ってること違うじゃん」感を全く取りつくろわないあたりも率直で好感が持てます。
多種多様な話題ををただ思いつくままに並べていく様に、現代のブログにも通じるものを感じます。こうして綴る文章もまた随筆のはしくれではありましょう。電波だけど。


引用してからふと気になって調べてみました。
有名な作品のわりに成立には謎が多く、吉田兼好という人がどこで何をしていたのか、生没年も正確にはわからない。本人作と伝えられていますがwikiによればそれすらも明確な証拠は残っていない。生前はむしろ歌に優れた人だったようで、和歌四天王にも数えられているようです。
徒然草が世に出るのは著作後百年も後の事です。まさか700年も後の世で、小学生にも名を覚えられるほど散文が有名になるとは、本人にとっても予想もしないことだったかもしれません。


前回引用したのは教科書にも載っている有名な序段です。

怪しうこそ物狂おしけれ。 

 物狂い、というのは物の怪に取り憑かれたようなさま、狂気を指します。自分を狂ったようだと公言する人はあまりいない。古来より随筆というものは人に見せることを前提として書きますから、世間の基準を良しとしない自分への自嘲と、それでも通したい一分の誇りと、両方が合い混ぜになった諧謔なのかなあ、などと想像します。


一際印象深いのは最終話にあたる243段。それまでの毒舌評論から離れて突然幼いころの回想が始まる「八つになりし年」の段。
以下非常にテキトーに現代語訳します。気になる方は原文をあたってください。

「父上、仏とはどんなものですか?」
「仏というのは人が成ったのだよ」
「人はどうして仏になったのですか?」
「仏が教えてくれて成ったよ」
「教えてくれた仏には何が教えてくれたのですか?」
「それもまた、先に仏に成った仏が教えてくれて成ったのだよ」
「では、教えを始めた『第一の仏』は、どういう仏だったのですか?」
「さあねえ、空から降ったか、地から湧いたか」と言って、父は笑いました。

「息子からこう問い詰められて、答えられなくなったよ」と、父は皆に楽しそうに語っていました。

というお話。数えで八歳なら満年齢は6、7歳。早熟です。でも自慢というよりは微笑ましい。
何かの拍子に父親との思い出が浮かんだのでしょうか。

 

さて、家には早熟ではない、というよりむしろマイペースでのんきな長男がいます。
最近の彼はずっと宇宙の始まりについて質問してきています。
ビッグバンで始まりました、では納得しない。今の宇宙の前には別の宇宙があったという説もあるよ、でも納得しない。彼が疑問に思うのはビッグバンより以前、宇宙の始まりの始まりには何があったかという事のようです。
「やっぱり神様はいるのかなあ」などどいうので、思い出しついでに「八つになりし年」の話をしてみました。
「そう!それ!」と彼は我が意を得たり、という顔をしました。

「700年も前の子どもも同じような事を考えたんだねえ」というと、長男は妙に安心したような顔をして「うん、気になるねえ」と言いました。
自分と同じような事を考える人間が他にもいるというだけで、人は安心できるのかもしれません。


同じような事を考えていた大人は集まってJAXAという組織に成ってるよ、と答えればよかったのでしょうか。研究者に成ってなにかを探しているよ、でもよかったかもしれません。
全国のかつての気になる子どもたちに敬意をこめて。