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思考散逸

ネットの宇宙の片隅の論理と思考の実験劇場

2万6千年より前のアーティファクト

その他 毒電波

先日、市立博物館に行きました。 

もう何度も行ったことのある、それほど大きくない地域密着型の博物館。
でも小さな子供が一緒だと、なかなかゆっくりと展示を見る時間が取れません。たまたま子供向けイベントが行われていたので、それをいいことに家族に後を頼み、普段よりも時間をかけて一人で展示を見ていました。

常設展示の中に、旧石器時代のものと推定される古い石器がありました。
ここに足を止めたことは今までなかった。石器というものは見た目は石ころとそう変わりませんから、子供が興味を示すことはあまりありません。
もともと鉱石は好きです。子供の頃は実家の近くにあった別の博物館へ連れていかれて鉱石標本ばかり見ていました。
「こんな展示があったのか」と興味深く眺めていると、ふとその一つに目が留まりました。

「市内某所の遺跡より発掘された2万9千~2万6千年前の石器」*1

数千年前の遺物というのは時折目にしますが、数万年前の人工物というのを実際に見るのは初めてです。それだけでも興味深い。
打製石器とはいえ道具ですから、使用用途ごとに形は違います。しばらく眺めるうちに、隣によく似た形の「2万9千~2万6千年前以前の石器」があることに気が付きました。
はっとしました。

 

現代においても、技術というものは需要が無くなったり、伝承に失敗したりするとあっけないほど簡単に滅びます。
石器製作も技術ですから、同じ所で発掘された同じような形の石器というのは、古い時代の人が伝えていった技術の「記録」に違いありません。二つの石器の間にどれぐらいの時間の隔たりがあるのかわかりませんが、地層でわかるぐらい離れているわけだから少なくても数百年、もしかしたら数千年の間、同じ集落で石器製作技術の「知識」は受け継がれていったわけです。
それは親から子であったかもしれない。もしかしたら上手な人が集落のみんなに技術を伝えて、マスターと呼ばれた事もあったかもしれない。古代の事だからあまり規模の大きなものではなかったとは思いますが。

 

そこまで考えたら涙が出てきました。私たちはもう何万年もおなじことを繰り返しているのか。
人に何かを伝えて、それが誰かの中で生きることを願って、そうして人類は少しづつ少しづつ知識を集約して、そして現代まで歩いてきたのか。
常設展は他にもありましたが、私はその場所から動けなくなりました。2万6千年以上前にこの記録を残した、確かに存在した誰かを思って。
傍から見たらあやしい人だったに違いありません。

 

私の書く文章は、大体が一文の役にも立たない毒電波系のあやしいものですが、基本的には「好き」で統一されていると思います。
何かを見たり聞いたりして「好き」になったときに、「好き」を誰かに伝えて、共有できればと思いました。
ネットの宇宙の片隅から誰かに。知識とも何ともつかない思いが誰かに届くように。
できればそれがその人の中で、少しでもプラスの形で生きることを願う。忘れられたとしても、何かに心を揺り動かされた経験はその人の中にささやかに残る。

 

何となく作品感想の枠の中でやってきましたが、その縛りはなくてもいいのかなと思いはじめました。
気が付くと4ヶ月も更新が開いてしまいました。
毎年盛夏から秋にかけて体調を崩します。来年は月に一度更新できる程度の健康を維持できればいいなと思います。


つれづれなるままに、日暮らし、硯に向いて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ。 ~徒然草

*1:その時期に大規模な火山活動があった為に広い範囲に火山灰が降り積もり、現在でも地層となって残っているらしいです。姶良Tn火山灰と言うそうです。