思考散逸

ネットの宇宙の片隅の論理と思考の実験劇場

おそ松とは狂気だ

仕切り直しついでに、全く別のことを書こうと思います。
今一番私が面白いと思っているのは『おそ松さん』。
といってもいまさら『おそ松さん』とかちょっと旬も過ぎてるし、いろんなところで語られつくしてるし、頭つかってこねくりまわすのも違う気がするし。

ただし、一つだけ言いたいことがある。マーケティング論、てめーはだめだ。
イケメン声優起用だの腐女子の美形離れだの、私に言わせれば違う、そうじゃない。
ノンノンノンジュウシマ~ツ、ジュウシマ~ツ、何もかも違うぞジュウシマ~ツ!!!!!(byカラ松feat俺)

…っていうぐらい違います。たぶん。

じゃ、実際はどうだったのかっていうのを想像を交えつつ寓話として書いてみました。
信じるかどうかはあなた次第。ここは自己責任ブログ。

 

むかしむかし、アカツカセンセイという、とんでもない狂気を抱えたひとがいました。
センセイはバカでした。マンガを描いたり酒を飲んだりTVに出まくったり、バカを極めて派手にやらかしまくった末に亡くなりました。
みんなはびっくりしました。こんなバカはみたことなかったからです。
それから悲しみました。バカだったねえと内心嘲笑う人もいました。
でも、センセイはいつも言っていました。
「これでいいのだ」
センセイはきっとしあわせだったのです。好きなだけバカなことしてたらみんなが笑顔でいてくれたから。

センセイはみんなに忘れ去られていきました。でも、ずっと忘れられない人たちもいました。
きっとセンセイの狂気がうつったのです。

時が流れました。
センセイのことを忘れなかった狂った人たちが、「そういえばセンセイそろそろ80歳だねえ」と言って、しんだひとの誕生祝いという実にバカなことを考えました。
センセイが一番よろこぶことは何だろう。そうだセンセイもびっくりするぐらいバカなものをつくろう。
こうしてぷろでゅーさーとかかんとくとかきゃくほんとか、狂気にだいぶんやられたバカな人たちがあつまりました。
そしてどうしたらびっくりするぐらいバカなものができるか考えました。
「そうだセンセイは常識というのがすごくきらいだった」「常識というのはあたりまえのことだ、とにかくあたりまえを破壊すればいいんだ」「きっとよろこぶよセンセイ破壊だいすきだし」「どうせだからぼくたちもあそんじゃえばめちゃくちゃになってもっといいんじゃないか」「アカツカセンセイ怒ってないかな?」「平気だよ、だいぶ前に死んだから」
こうしてセンセイに喜んでもらうためにセンセイに見てもらう気が全くなくなったという、バカにバカを重ねた狂気の一大プロジェクトが始まりました。

バカな人たちに言われて集まった、その他大勢のみんなは困りました。でてきた言葉がまた実にバカだったからです。
「なんでもいいからとにかく狂気あふれてほとばしるようなパワーに満ちたとんでもなくバカなものを作れ。これでいいのだ」
困っててもごはんがたべられないので、みんなはおそるおそる何かを作りはじめました。
作っているうちに気が付きました。なんだかわからないけどこれ楽しい。
いままでやれなかった新しいことをやるってとっても楽しい。
なによりバカだったら怒られませんでした。みんなしあわせな気持ちになってきました。
楽しくておこられないでごはんがたべられるんだから、しあわせにならないはずがないのです。
みんなに狂気が感染しました。
そうこうするうちに、最初バラバラだった狂気に一つの流れができてきました。
バカって最高にしあわせなんじゃないか。
こうして、狂気に巻き込まれたしあわせな人たちのつくるものはどれも「しあわせ」の意味をもつようになりました。

放送が始まりました。
できあがったものは「なにがなんだかわからないけどバカでしあわせなきもちになるもの」でした。
見せられたおきゃくさんもびっくりしました。こんなバカなものはみたことがない。
なにがなんだかわからなさすぎるので、おきゃくさんは続きが気になりだしました。そして、どれだけバカかを噂しあいました。
こうして狂気はひろがり始めました。たくさんのおきゃくさんを巻き込みだしました。

そのころ、最初に狂気に感染した、大分イカレたバカなひとたちはおもっていました。
こんなにたのしいのは新しいことをしてるからだ。これまでないことをはじめるってなんてくるしくてバカでたのしいんだ。
じゃあ、最高にバカなことって何か、みえてくるんじゃないか?

こうして初めはただバカだっただけのものに、ちがう意味が加わりました。
みんながそろってあたらしいもの、いままでできなかったくるしくてバカでたのしいもののほうを向きました。
狂気が激流のように渦を巻きました。
なにをしてもおこられなかったので、それぞれがバカなもの、なんだか楽しくてしあわせなきもちになるものを勝手に作って楽しくぶちこみはじめました。
そして一見バカに見えて真面目に見えてやっぱりバカだかなんだか全くわからないという、闇鍋のようなとてつもなく巨大なバカがあらわれだしました。

こうなってくるともうむちゃくちゃです。
おきゃくさんはわけがわからないものをみせられて自己責任アニメとかいわれるので、自己責任で考え始めました。
しあわせな狂気にとりつかれたみんなはやりたい放題あそびはじめました。
どんどんしごとが遅れても、むちゃくちゃなスケジュールのなかで好き勝手しました。それを誰も気にしませんでした。
どうせバカなんだから最後につじつまがあってりゃなにやったっていいのです。
狂気がすべてを支配しました。
なにがなんだか全くわからない狂気と怒号の濃密な時間は終わり、放送を待つだけになりました。

おきゃくさんはとてつもなく巨大なバカの終わりを固唾をのんで見守っていました。
バカなものが突然バカじゃなくなったからです。
バカがバカじゃなくなったその先は、どこへむかうのだろう?
そう思って待っていたおきゃくさんは、びっくりしました。
出てきたものはやっぱりただのバカでした。

バカがでてきたのでおきゃくさんは安心しつつ、首をひねりました。わけがわからないにもほどがあります。
あんなにくるしそうだったのに、あんなにこまっていたのに、それでもがんばってすすんで、どうして何事もなかったようにまたバカに戻るんだろう?
おきゃくさんはかんがえました。自己責任アニメと言われたからにはかんがえなくてはいけないにちがいない。

でも、なんだかわからないけどたのしかった。またバカなものがきてくれないかな。
誰ともなくいいはじめました。秋にはまたバカがきてくれるよ。ほんとかなあ。きっとほんとだよ。きてくれるといいねえ。
みんながこころからバカを信じたとき、小さな奇跡がおこりました。
みんながただのバカになったのです。

 

…以上はフィクションのようなノンフィクションのようなただの寓話。信じるはどうかはあなた次第。Let's自己責任。