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思考散逸

ネットの宇宙の片隅の論理と思考の実験劇場

〔読書〕 銀の匙SilverSpoon13巻感想 ~夢を実現するという事~

読書

6月22日の記事(荒川版アルスラーンに見る目的意識 - 思考散逸)で予告した、銀の匙13巻の感想を書こうと思う。

銀の匙 Silver Spoon 13 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 13 (少年サンデーコミックス)

 

 先日の記事で触れたとおり、「銀の匙」は私にとって初の荒川漫画だ。
1巻からさらっと読み流すつもりが、2回3回と繰り返し読んだ。

私がこの作品を好きな理由は2つある。
作品中に「夢を実現させるとはどういうことか」というテーマが明快に示されていること、それが少年漫画の文法で無理なく描かれ、エンターテイメント作品として完成していること。この二点だ。

 

「夢の実現」というテーマ自体は、これまで少年漫画の世界で何度も描かれてきた。
そこで語られる夢の多くは、より強いものに勝つこと、最強の存在になることだ。
「勝つこと」「強者たること」こそが、少年漫画において夢として追求される永遠のテーマといっていい。

さて、「銀の匙」で語られる夢とは何か。
入学時には「(夢なんて)別に・・・」「何も・・・」といい、成績を上げること以外に自分の存在価値を見出せない八軒は、いつしか「起業」という目標を見つけ出し、そこに向かって歩き出す。
同じように御影や駒場も、それぞれ迷いや挫折を経た上で、「馬関連の仕事に就職」「自分の牧場を持つ」と自らの夢を自覚し、そのための現実(進学、費用捻出のためのバイト)にきちんと立ち向かう。

11巻での退寮式で、校長が銀の匙の由来を語る、ひときわ印象的なシーンがある。
「みなさんに『生きていく力』を贈れたら幸せだなと思っています」
「夢がある人にも無い人にも平等に、銀の匙の心はあなたたちのためにあります」

ここから読み取れるのは、「好きなことで『食うに困らない』力を身につけることこそ、夢の実現であり、幸福なのだ」「今は具体的な夢が見つからなくても、銀(自己)を磨く心がある限り、ここから応援し続ける」という、読者に向けたまっすぐなメッセージだ。

「好きなことから逃げずに向かい合う」
ここまでは、少年漫画に限らずよく見かけるテーマだ。王道といってもよい。
しかしそこからさらに一歩踏み込んで、「好きなことで食うに困らない力を身につける」という、経済的な部分まで踏み込んだ作品は、私の知る限りあまり無い。
泥臭く現実的で、ともすれば汚れて地味な印象になりかねない「金を稼ぐ」というテーマだが、ここでは卑屈になることなく、全肯定されている。
「好きなことを追い続ける」ことと並んで、「正当な利益を上げる」ことを肯定するこの作品が、私は大好きだ。

 

さて、物語も終盤にさしかかった感のある13巻で、一つ印象的だった場面がある。
馬術部の全国大会出場がかかった団体戦で、八軒が出走前に覚悟を決めるシーンだ。
自分の乗る馬の毛並みの良さを見て、世話をしている誰かの存在に気がついた八軒は、「地味な仕事だけど、こいつの世話してる人は信用できる」と、「仕事」を通して見知らぬ誰かを信用し、その時はじめて自分を全肯定する。それは以下の台詞にはっきりと現れている。

「いまいち主役になりきれて無いけどそれでいい」
「下支えを誠実にやる人間になろう」
「地味な仕事でいい!」

入学した時から「夢が無い」「やりたい事が特に無い」と自覚し、何かあるたびに「これでいいのかな・・・」と悩み続けてきた八軒が、「地味で主役になれないかもしれない」自分を認め、「それでいい」と自分を肯定し、覚悟を決めた瞬間。
そしてその覚悟は、彼個人の点数に関わらず、満場の拍手と全国大会出場という形で周りから肯定され、祝福される。

この場面で、八軒をはじめて肯定する人物がもう一人いる。
物語中、ずっと懐疑を突きつける役回りを演じてきた、八軒の父親だ。
彼は父として、「それでいいのか」「お前のやるべきことは何だ」と、一貫して八軒に問い続けてきた。
エゾノーでの学生生活にも懐疑的だった彼が、この試合の場面では顧問の中島に対し、「呼んでいただいてありがとうございます」と礼を述べ、息子に会わずに帰ろうとする。
長い逡巡の末に自分の「やるべきこと」の答えを出し、覚悟を決めるまでに成長した息子に対して、現時点では懐疑をさしはさむ余地は無かったのだ。

大団円を予感させる、いいエピソードだったと思う。