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思考散逸

ネットの宇宙の片隅の論理と思考の実験劇場

徒然草とビッグバン

毒電波 日常系 読書

いきなり日常系ですが引き続き毒電波ということでまあいいや。
ちなみに私自身は国文学にもビッグバン理論にも精通しているわけではないので、やや正確さを欠く上にふんわりした文章にしかならないのはご愛敬。間違っている箇所がありましたらご指摘ください。

 

前回記事の締めに徒然草を引用してみました。
勉強する気がさっぱり無かったので古文の成績はダメダメでしたが、徒然草は好きです。今の世にもありそうな、愚痴だか毒だか評論だかよくわからない話の羅列が面白い。前後相矛盾する「さっきと言ってること違うじゃん」感を全く取りつくろわないあたりも率直で好感が持てます。
多種多様な話題ををただ思いつくままに並べていく様に、現代のブログにも通じるものを感じます。こうして綴る文章もまた随筆のはしくれではありましょう。電波だけど。


引用してからふと気になって調べてみました。
有名な作品のわりに成立には謎が多く、吉田兼好という人がどこで何をしていたのか、生没年も正確にはわからない。本人作と伝えられていますがwikiによればそれすらも明確な証拠は残っていない。生前はむしろ歌に優れた人だったようで、和歌四天王にも数えられているようです。
徒然草が世に出るのは著作後百年も後の事です。まさか700年も後の世で、小学生にも名を覚えられるほど散文が有名になるとは、本人にとっても予想もしないことだったかもしれません。


前回引用したのは教科書にも載っている有名な序段です。

怪しうこそ物狂おしけれ。 

 物狂い、というのは物の怪に取り憑かれたようなさま、狂気を指します。自分を狂ったようだと公言する人はあまりいない。古来より随筆というものは人に見せることを前提として書きますから、世間の基準を良しとしない自分への自嘲と、それでも通したい一分の誇りと、両方が合い混ぜになった諧謔なのかなあ、などと想像します。


一際印象深いのは最終話にあたる243段。それまでの毒舌評論から離れて突然幼いころの回想が始まる「八つになりし年」の段。
以下非常にテキトーに現代語訳します。気になる方は原文をあたってください。

「父上、仏とはどんなものですか?」
「仏というのは人が成ったのだよ」
「人はどうして仏になったのですか?」
「仏が教えてくれて成ったよ」
「教えてくれた仏には何が教えてくれたのですか?」
「それもまた、先に仏に成った仏が教えてくれて成ったのだよ」
「では、教えを始めた『第一の仏』は、どういう仏だったのですか?」
「さあねえ、空から降ったか、地から湧いたか」と言って、父は笑いました。

「息子からこう問い詰められて、答えられなくなったよ」と、父は皆に楽しそうに語っていました。

というお話。数えで八歳なら満年齢は6、7歳。早熟です。でも自慢というよりは微笑ましい。
何かの拍子に父親との思い出が浮かんだのでしょうか。

 

さて、家には早熟ではない、というよりむしろマイペースでのんきな長男がいます。
最近の彼はずっと宇宙の始まりについて質問してきています。
ビッグバンで始まりました、では納得しない。今の宇宙の前には別の宇宙があったという説もあるよ、でも納得しない。彼が疑問に思うのはビッグバンより以前、宇宙の始まりの始まりには何があったかという事のようです。
「やっぱり神様はいるのかなあ」などどいうので、思い出しついでに「八つになりし年」の話をしてみました。
「そう!それ!」と彼は我が意を得たり、という顔をしました。

「700年も前の子どもも同じような事を考えたんだねえ」というと、長男は妙に安心したような顔をして「うん、気になるねえ」と言いました。
自分と同じような事を考える人間が他にもいるというだけで、人は安心できるのかもしれません。


同じような事を考えていた大人は集まってJAXAという組織に成ってるよ、と答えればよかったのでしょうか。研究者に成ってなにかを探しているよ、でもよかったかもしれません。
全国のかつての気になる子どもたちに敬意をこめて。

2万6千年より前のアーティファクト

その他 毒電波

先日、市立博物館に行きました。 

もう何度も行ったことのある、それほど大きくない地域密着型の博物館。
でも小さな子供が一緒だと、なかなかゆっくりと展示を見る時間が取れません。たまたま子供向けイベントが行われていたので、それをいいことに家族に後を頼み、普段よりも時間をかけて一人で展示を見ていました。

常設展示の中に、旧石器時代のものと推定される古い石器がありました。
ここに足を止めたことは今までなかった。石器というものは見た目は石ころとそう変わりませんから、子供が興味を示すことはあまりありません。
もともと鉱石は好きです。子供の頃は実家の近くにあった別の博物館へ連れていかれて鉱石標本ばかり見ていました。
「こんな展示があったのか」と興味深く眺めていると、ふとその一つに目が留まりました。

「市内某所の遺跡より発掘された2万9千~2万6千年前の石器」*1

数千年前の遺物というのは時折目にしますが、数万年前の人工物というのを実際に見るのは初めてです。それだけでも興味深い。
打製石器とはいえ道具ですから、使用用途ごとに形は違います。しばらく眺めるうちに、隣によく似た形の「2万9千~2万6千年前以前の石器」があることに気が付きました。
はっとしました。

 

現代においても、技術というものは需要が無くなったり、伝承に失敗したりするとあっけないほど簡単に滅びます。
石器製作も技術ですから、同じ所で発掘された同じような形の石器というのは、古い時代の人が伝えていった技術の「記録」に違いありません。二つの石器の間にどれぐらいの時間の隔たりがあるのかわかりませんが、地層でわかるぐらい離れているわけだから少なくても数百年、もしかしたら数千年の間、同じ集落で石器製作技術の「知識」は受け継がれていったわけです。
それは親から子であったかもしれない。もしかしたら上手な人が集落のみんなに技術を伝えて、マスターと呼ばれた事もあったかもしれない。古代の事だからあまり規模の大きなものではなかったとは思いますが。

 

そこまで考えたら涙が出てきました。私たちはもう何万年もおなじことを繰り返しているのか。
人に何かを伝えて、それが誰かの中で生きることを願って、そうして人類は少しづつ少しづつ知識を集約して、そして現代まで歩いてきたのか。
常設展は他にもありましたが、私はその場所から動けなくなりました。2万6千年以上前にこの記録を残した、確かに存在した誰かを思って。
傍から見たらあやしい人だったに違いありません。

 

私の書く文章は、大体が一文の役にも立たない毒電波系のあやしいものですが、基本的には「好き」で統一されていると思います。
何かを見たり聞いたりして「好き」になったときに、「好き」を誰かに伝えて、共有できればと思いました。
ネットの宇宙の片隅から誰かに。知識とも何ともつかない思いが誰かに届くように。
できればそれがその人の中で、少しでもプラスの形で生きることを願う。忘れられたとしても、何かに心を揺り動かされた経験はその人の中にささやかに残る。

 

何となく作品感想の枠の中でやってきましたが、その縛りはなくてもいいのかなと思いはじめました。
気が付くと4ヶ月も更新が開いてしまいました。
毎年盛夏から秋にかけて体調を崩します。来年は月に一度更新できる程度の健康を維持できればいいなと思います。


つれづれなるままに、日暮らし、硯に向いて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ。 ~徒然草

*1:その時期に大規模な火山活動があった為に広い範囲に火山灰が降り積もり、現在でも地層となって残っているらしいです。姶良Tn火山灰と言うそうです。

岩田聡氏一周忌に思う

その他 時事 岩田聡

実はこの記事を書き直してもう3回目になります。

昨日、7月11日はは岩田聡・元任天堂社長の一周忌でした。
一周忌に合わせてアップしようとしたのですが、例によって間に合わず。
大逆転裁判もそうでしたが、どうも私は思い入れが過ぎると変な力みが出て書けなくなるようです。
普段はテキストエディタに打ちこんでからブログツールに張り付けるのですが、今回は気分を変えて思いつくままにブログに書き連ねてみることにしました。 


岩田さんは私がとても影響を受けた人です。
といっても、ネットなどの配信記事で人となりを伺うだけで、直接会ったことは一度もないのですが。

nyanmage00.hatenablog.com

一年前、 訃報を受けた直後にこれを書きました。
当時はまだブログの方向性が定まらず、試行錯誤の連続だったのですが、ここでは自分の心象をストレートに書けたのではないかと思っています。

 
それからの私は、もう岩田さんの言葉が聞けないことがあまりにショックで、『社長が訊く』や『ほぼ日刊イトイ新聞(以下ほぼ日)』等の記事を読み続け、直接会った事もない岩田聡という人はどんな人だったのだろうと考え続けました。

その中で、ひときわ印象に残ったのが4Gamerの追悼記事です。

www.4gamer.net

技術的な事も経営的な事も、全体的に「壮絶」としか言いようのない内容なのですが、強く心に残った箇所は二つ。

三津原氏:
(前略) ただ,それは別にして,岩田さんは漫画が大変にお好きで,少なくともハル研の頃は,週刊で発売される漫画を一通り読んでいたと思います。高橋留美子さんの「めぞん一刻」がお好きなんですよ。あと,映画の「スタートレック」シリーズも好きでしたね。 

4Gamer
 その二つからコンテンツの好みを読み解くのは,至難の業ですね(笑)。

   ~中略~

田中氏:
 そうです……ただ,私の中では岩田さんは「人間を理解したい」という気持ちがとてつもなく激しい人という印象も強くて,それがあれほどの「最適化」に行き着いた理由でもあるように思うんです。


めぞん一刻」「スタートレック」のどちらも、性別や種の違う者同士が出会ってすれ違いを繰り返しながら相互理解を目指す話です。亡くなった人の事なので真実はわかりませんが、この二つが好きだという事と、「人間を理解したい」という欲求は、つながっているのではないかという気がします。

nyanmage00.hatenablog.com

上記記事中、ほぼ日より対談引用させて頂きましたが、再引用します。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 社長に学べ!

岩田氏:
そうですね。
だけど自分の価値体系のなかには、
「まわりの人がよろこぶ」とか、
「まわりの人がしあわせそうな顔をする」
とかいうことが、すごい上位にあるんですよ。 

糸井氏:
そうなんですよねぇ。

岩田氏:
「そのためなら、なんだってしちゃうよ!」
というところがあるんです。 

岩田聡という人にとって、「人を喜ばせたい、幸せにしたい」ということはなによりも価値があって、その裏には誰よりも激しく人を理解したい、理解されたいという気持ちが隠されていたように思えてなりません。


とても印象に残った点がもう一つ。
先の4Gamer記事中、岩田さんについては再三「問題解決の人」「最適化の人」と語られています。
その最たるものとして挙げられているのが、最晩年の入院生活についてです。

石原氏:
 実は,岩田さんはご自分の病気が何であるのか,告知を受けて正確に知っていたんです。
 そして,自分で最新の医学書とMacを病室に持ち込んで,自分の病状と今ある解決策を徹底的に学んだんです。それこそ医者より詳しくなるくらい,自分の病気に関して徹底的に研究していたんですね。
 そうして,私なんかが会いに行くと,「この病気で死ぬ確率と生き残る確率はそれぞれこれくらいあって,自分はこの線で行くのが最適解だと思う」と,いつもの問題解決を考えているときの調子で,楽しそうに話すんです。
  ~中略~
 最先端の治療を自分で試せないかと,様々なアイデアを主治医に相談したりもしていたそうです。私の知っている岩田 聡という人物は,そういうときに「人類の未来には,きっとこの病気は簡単に治るものになる。そのために今,自分は何をすればいいのか?」を考えていく人なんですね。彼は本当にエンジニアでしたから。

川上氏:
 ……。

石原氏:
 凄まじかったですよ。日々最新の医学書とネット情報を検索し,主治医をつかまえては議論するんです。岩田さんは自分自身の病気まで含めて,あらゆる「問題解決」について最後まで諦めませんでした。どこまでも前向きで,亡くなる直前まで解決策を考えていたんです。

 
このエピソードをどう解釈するかは意見が分かれるところです。
単純に「美談」と捉えるのは簡単ですが、私にはそれは違うような気がします。
あまり医学に明るくはないのですが、胆管腫瘍という病気はとても難しいそうです。自分が遠くない将来に死ぬかも知れないときに、怖くない人間などいるわけがないのです。

岩田聡という人は、自分から問題解決に当たることで、自分のストレスと向き合っていたのかもしれない、そんなことを思います。

www.1101.com

糸井さんの語る、大切な友人の思い出に泣きました。

まだ55歳で、これからというときに亡くなられましたが、これほど多くの人に強い印象を残したというのは稀有な事ではないかと思います。
人は残されたものとともに生きていかなくてはいけませんから。

本日7月12日、アメリカでポケモンGO大ヒットのニュースが飛びこんできました。
WiiUの低迷が続いていた任天堂にとっては久しぶりの明るいニュースです。
株式会社ポケモンの設立に尽力したのも岩田さんだったそうです。
岩田さんがまいた種は、確かに芽を吹いていたのだと思います。

 

とても好きなモノやヒトのことは、いくら文を連ねても気持ちがうまく伝わらないような気がしてもどかしいです。

 

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

2016/07/21 追記その1

newspicks.com

もう様々なメディアで公開された情報なので今さら感ありありですが。
ポケモンGoも生前に寄与されていたプロジェクトの一つだそうです。
日本での公開が待たれるところです。

 

追記その2 

ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言

ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言

 

あまり公開されたことのない学生時代のスナップ写真のような伝記。
部活とプログラミングに明け暮れる高校生活が同級生の証言で再現されます。プログレに傾倒してYesとピンクフロイドを語る姿が印象的。
「いい話だけじゃ嘘くさいので」という一文がとても好きです。

非常によかったので、この本はどうしても紹介したかった。

ガンスリンガー・ガール ~人は与えられたものの中でしか生きられないから

読書 アニメ

少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。   ~1巻帯より

 13年前、放送されたTVアニメーションの映像が美しくてずっと見ていた。
繊細な線で描かれたキャラクターの演技も精緻な筆遣いのイタリアの街並みもとても好きだった。

先月ちょうど暇があったので、原作単行本を全巻まとめて購入しておいた。
TVシリーズの続きがふと気になったのだ。

 

 

舞台は極右テロリストの抗争が深刻化するイタリア。
公益法人社会福祉公社は表向きは首相府主催の身障者支援団体、しかしその実体は重篤な障害者を改造し、条件付けと呼ばれる洗脳を施して子供の姿の殺し屋『義体』に仕立てた対テロリスト特殊機関で…というお話。
戦う少女の物語にありがちな都合よく甘ったるい夢などどこにもない。
そこにあるのは乾いた任務と、近い将来寿命で死ぬという現実。義体は薬物の副作用で長くは生きられない。
それでも義体たちは今を生きる。
本来の彼女たちにはそれすら望むことが許されなかったから。

 

物語の序盤では義体たちの普通の少女のような小さな幸せが丁寧に描かれる。
それは担当官と一緒に行う天体観測であったり、贈られるプレゼントであったり。
人を殺す任務の中の日常の中でのそんなささやかな幸せ。
やがてテロリストとの構想は激化していき、義体は少しづつ消耗して、いずれ避けられない終わりが近づく。
絶望に満ちた日々の中で、義体と担当官の関係性が少しずつ変化していくのが好きだ。

 

義体たちは条件付けによって担当官を絶対視している。
条件付けの強さは各担当官によって多少差はあるが、どんな個体でもそれは変わらない。
薬物で洗脳されて生まれた人工的な関係は、進行につれてどんどん変化し、縛られるだけのものではなくなっていく。


例えば緩い条件付けの為に担当官ヒルシャーとの関係に悩むトリエラは、過去を知ることで自分の意志で生きて戦う事を選択する。
変わるのは義体だけではない。
担当官マルコーに見捨てられたアンジェリカは義体の寿命を迎える前に失った記憶を取り戻し始める。それがマルコーの昔の情熱を蘇らせ、「もう誰も死なせない」という台詞につながる。
中にはヘンリエッタとジョゼのように悲劇的な結末に至ることもあるが、それでも義体たちはそれぞれの担当官と任務を超えて互いに理解し、理解されて、そして死に至る。

世界には今も希望がありますよ  ~15巻帯より

 世界は戦うものたちの骸の上に希望を見出すのだけれど、彼女たちの希望もまた、誰かと心を分かち合えたことではないだろうか。
アニメ一期の最終話にも使われた第8話「歓びの歌」がベートーヴェンで締めくくられたことがラストの展開を予感させ、非常に暗示的だ。

よろこびの気持ちを声に出して合わせよ!
そうだ!この地上でたったひとりでも、
心を分かちあえる相手がいると言える者も共に和すのだ!!
抱擁しあおう何百万もの人々よ!
この接吻を全ての世に広げよう!        ~2巻p,77より

 

ヘンリエッタと同じく、事件の中心にいるジャンとジョゼの妹、エンリカ(Enrica)から名づけられたリコ。
ジャンから徹底して道具として扱われ、皮肉にもそれが安定と平穏につながっている従順なリコから出た初めての叛逆の言葉が「私のために生きて」だったのが切ない。

 

内容が非常にハードなガンアクションなのでたまには硬めの文体で。
2002年から10年かけて連載された物語ですが、イギリスのEU脱退決議があった今日、また違った視点で読んでも面白いです。


義体の子たちにはみんな思い入れがありますが一番好きなのはペトルーシュカ。とことん前向きで一生懸命でかわいい。

人間に憧れる人形から名づけられた彼女が一番人間らしく生き生きとしているのがなんとも言えません。
ぺトラとサンドロとの関係は重苦しい展開が続く中での一種の清涼剤として効いています。
晴耕雨読の生活を愛するクラエスも好きです。
「私がサミシイかどうかは私が決めるの」は一人約束を守り続けた彼女らしい名台詞。

すべての生命は星から生まれた

その他 考え方 毒電波

わー、なんかFFみたいだ。
熱でも出たんじゃないかってタイトルです。どうした自分。
実際風邪ひいてるんですが。

 

最近忙しくてなかなか行けませんが、上野で博物館巡りをするのが好きです。
上野といえば外せないポイントの一つが国立科学博物館。一日中いても飽きない場所です。
その中に「シアター36○」という全球型映像施設があります。
元々は愛・地球博で「地球の部屋」として展示されたものが移設されたものだそうです。なかなかに迫力ある映像が楽しめますので見学の際は是非。

 

何年か前に訪れた際、いつものようにシアター36○に立ち寄りました。
そこで見た「宇宙137億年の旅–すべては星から生まれた–」というプログラムが今だに忘れられません。

宇宙の始まり、ビックバンから私たちの太陽が生まれるまでの映像が全球型スクリーンに投影されているさまは、これがCGであって実際の映像ではないということとを差し引いても非常に衝撃的なものでした。
一番衝撃を受けたのは、「すべての恒星は核融合炉である」ということです。

 

宇宙の始まりには素粒子から生まれた水素やヘリウムなど軽い元素しかありませんでした。
軽い原子同士が凝集して最初の星が作られ、恒星内部で核融合が起こることによって徐々に重い原子が生まれ、最期に超新星爆発を起こしてさらに重い金属などの原子が生み出され…
そして最初の星で生まれた原子は宇宙に飛び出してまた新たな星を作るらしいのです。
だから、地球にある物質全て、地球に存在するあらゆる生命を形作る原子の「すべては星から生まれた」らしいのです。

 

ブログでも何度か繰り返していますが私は無神論者であり、すべてのスピリチュアルを否定する立場でもあります。
当然生まれ変わりも死後の世界も否定しますが、このとき輪廻というものが腑に落ちた気がしました。
私の体を形作るものは、過去に宇宙のどこかで、知らない星によって生まれたものなのです。
同時に、過去に何か他の物質だったものであり、未来に何かを形作るものなのです。

 

シアター36○と並び、科学博物館で好きな展示が地球館1Fの系統広場です。
生命の多様性な分岐を系統樹と標本であらわしたもので、床面LEDで描かれた系統の流れを何度もたどってみるのが好きです。
与えられた条件が一つ違うだけで、私は違う生命として生まれていたかもしれない。頭索動物だったかもしれないし、棘皮動物だったかもしれない。そんなことを考えます。
今ここに存在する自分は偶然の産物ではないのか。
宇宙の誕生から137億年かけて偶然の繰り返しの果てに己という存在にたどり着いたのではないかと。

 

そして、ただそこにあるだけで十分に神秘的な宇宙と、科学を日夜研究する人たちに畏敬の念を抱くのです。

本日6月13日は「はやぶさの日」、小惑星探査機はやぶさが60億㎞の距離を7年かけて波乱万丈の探査の旅を行い、地球に帰還した日です。

 

シアター36○の上映スケジュールはこちらで。宇宙137億年の旅は現在でも上映されているようです。

www.kahaku.go.jp

 

大変だ。高尚なふいんきすぎる。逆裁6やらなきゃ。
あ、ゲームが低俗って意味じゃないですよ一応。真摯に情熱を傾けて作られるものにはすべて敬意を表するものであります。

(6/14追記.肝心な点が抜けていたのでこっそり追加と修正)

『大逆転裁判』を弁護する~本作は本当に失敗なのか?弁護側による反証 《後編》

ゲーム 大逆転裁判

提出期限は6/8と予告しましたが日付が変わってしまいました。

大分忘れたせっかくなので初めからリプレイして書こうと思ってたらまあ進まない。夏休みの宿題のようです。途中で諦めて第1話と第5話に絞り、2~4話は“章を選ぶ”でピンポイントにプレイしています。あとで間違いに気づいたら修正を入れるかもしれません。

 

nyanmage00.hatenablog.com

 

 

nyanmage00.hatenablog.com

 

以前の記事はこれですがなにせ10か月前のエントリですのでうまくつながっていません。当初は旧作との比較を考えていましたが私の力量ではまとまらないので断念しました。
一応逆裁シリーズ1~5の総括的内容になっていますので参考までに。

またぐだぐだやっても終わらなくなるのが目に見えていますので今回はなるべく簡潔に進めます。
のっけからネタバレ全開ですのでこれから購入する予定の方は今すぐ回れ右でブラウザ閉じてください。

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「女オタク」の謎~オタク社会の変容に対する一考察

アニメ 考察 サブカル

最近はてなブックマーク(以下はてブ)で遊ぶことを覚えました。

はてなブックマークって? - はてなブックマーク


はてブはエントリ中心型SNSなのが最大の特徴で、ブックマークに対しコメント付できることで擬似フォーラムが形成されます。ツイッターはリツイートで各自がばらばらに情報を拡散していきますが、はてブはフォーラムが維持されたまま情報拡散が続きます。ここから、コメントでつながる独特の文化が形成されています。*1

ツイッターと比較した時、違うのは空気読む必要がない事。私みたいなKYが知らない話題に気楽に参加出来て、発酵瓶の泡のようなゆらめくたくさんのコメントのなかから世論めいたものがいくつか収束し、議論が醸造されていくのが楽しくて、飽きずに眺めています。*2

そんなこんなで遊んでいたら初めて人気コメ入りしました。わーい。
嬉しかったので、記念にさらに深彫りしてみます。時間をおいてしまい今更感もありますが例によって気にしない。

 

まず、元記事はこちら。面白かったのでステロタイプじゃないオタク女性の実像に興味がある人は通しで読む事をおすすめします。

www.itmedia.co.jp


「オタク女性は大きく4つの勢力に分類される。すなわち『夢女子』『女オタク』『腐女子』『声オタ』」という内容です。

対し、形成されたブクマコメント欄がこちらです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1605/04/news006.html

 

そして自分の発言より引用↓

女オタク:作品の考察など作品構造そのものに執着する人。文学、映画等と親和性高し。 つか自分がこれ。他誰もいなかったらちょっとだけ寂しい。

嬉しいからさらに考察…このエントリを記述する行為がまさに模範的女オタクです。我ながらちょっと感心しました。
女オタクって何?腐女子とどう違うの?っていう方の参考になれば幸いです。

コメントから見える読者側の感想

さて、自分としては非常に興味深く拝読した元記事ですが、ブクマコメを見る限り???となった方も多いようです。目についたのはこのあたりでしょうか。*3

  • 女オタクの定義がわからない
  • ベン図による図説が実態に対しわかりづらい
  • 腐女子への差別意識が感じられる
  • そもそも安易に分類されること自体不愉快

確かに誤解を生みやすい書き方ではありましたが、これまであまり顧みられることのなかった「オタク女性社会」に対する考察のたたき台としては十分すぎる良記事だと思ったので、私なりの考察という形で弁護しようかと思います。少なくとも私には、この記事を書いた人に悪意があったとは受け取れません。
弁護側としては何が問題になって誤解が生じたのかという点から見ていこうと思います。

「女オタク」とは何か

実はブクマコメントを書いた時、自分でも「女オタク」という呼称に違和感を覚えました。
思うに、「作品ありきでキャラクターが好き」な人、作品そのものを愛好する人を「女オタク」と呼んだのがまずかったのではないでしょうか。
元記事を見ると、考察の前提として必要になる「オタク」という語の定義がしっかりなされていません。
コメントからは「オタクってアニメ、マンガ等のキャラ系ポップカルチャー*4を愛する人の総称じゃないの?」という疑問が出ているように感じられます。
つまり、「女オタクを自称する=自分たちこそが正当なオタクだと思ってるんじゃない?」と受け取られたのではないか、と私は考えます。
思うにそれは誤解です。「オタク」という語には2重の意味があります。
ここからはアニメの分野に絞って歴史的変容を追ってみます。


オタク社会の変容と「オタク」を名乗る意味の変化

オタクという単語は80年~90年代以前と2000年代以降で大きく意味を変えました。*5
90年代以前の「オタク」という語が指す対象は今でいうガチオタ、「一つのコンテンツを骨の髄までしゃぶりつくすほど鑑賞し研究する人たち」でした。

1980年頃のオタクの生態はアオイホノオ島本和彦)に生々しく記録されています。*6

 

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

アオイホノオ 1 (ヤングサンデーコミックス)

 

 


当時と現代との最大の差は何といっても記録メディアの価格とコンテンツの量に尽きます。
BDやDVDなど当然無く、記録媒体といえばベータかVHSかの時代。どちらもまだ高価なものでした。
当時のオタク先駆者たちは脳内に映像を焼き付けるしかなく、場合によっては映画館や店頭デモに何時間も張り付いて作品を鑑賞し倒したのです。
時代を経て90年代に入っても、まだ今でいう「ライト層オタク」達はアニメが好きな人ぐらいのゆるい扱いだったように思います。
今でいう深夜アニメに該当する内容の作品は主にOVAとして供給されており、一部のユーザー、オタクと呼ばれる先駆者たち以外に知られることはあまりなかったのです。

 

一部の濃い「オタク」の周りにゆるくアニメ愛好者が分布していたオタク社会は90年代後半に入って変化を迎えます。

転機は95年の「新世紀エヴァンゲリオン」です。
劇場アニメーションなどの例外を除いて、いわゆる「大きいおともだち」向けのTVアニメが社会現象に至るまでの大成功をおさめた初の例でしょう。
この時点でアニメーションにおける製作委員会方式の手法が確立しました。
製作委員会方式について書きだすとエントリ一つ分消費するほど長いので詳細は省きますが、これによって特定の商品のプロモーション以外の目的でTVアニメを作ることが可能になりました。純粋に作品のための作品、「アート」としてアニメを作ることができるようになったのです。
昔の民放局では販促、特に玩具タイアップ以外のTVアニメーションを作ることはとても難しいことでした。
人類補完計画とは何だったのか、それが成功か失敗だったのかはわかりませんが、アニメーションの制作環境はある意味エヴァで補完されたのです。*7

 

ここで時代によるコンテンツ量の増加を見てみましょう。

gigazine.net


こちらに年間に放送されるアニメーションの本数を記録した動画が紹介されています。
機動戦士ガンダム」初回放送の79年には37本だった年間新作本数が、「魔法少女まどか☆マギカ」の2011年には164本(!)と脅威の本数に伸びています。
アニメーションを取り巻く環境は変わりました。カジュアルコンテンツになったのです。
かつてないほどたくさんのユーザーが気軽に大人向けアニメを楽しむようになり、ネットの普及により二次創作も一般的なものになりました。
昔、畏怖の念をこめて呼ばれた「オタク」という呼称は「オタ系コンテンツ愛好者全般」を指す一般名詞に変化したのです。*8


女オタクとは何か

ここまで考えたとき、最初の「女オタク」という呼称に対する違和感の正体がわかります。
かつてはどうあれ2016年現在では英語の「geek」に近い意味合いで「オタク」を使用した場合、無用の誤解が生じることのほうが多いでしょう。
元記事にある「作品ありきでキャラクターが好き」つまり登場人物よりも作品性そのものに愛を注ぐ人達、かつての先駆者たちに近い立ち位置で作品を鑑賞し愛する人たち、私も含めた少数の人たちを現代において何と呼ぶべきか。

 

…わかりました。「マニア」です。
私たちは作品の魂そのものにマニアックな愛を注いでいるわけです。

 

以上の考えに沿うようベン図を新たに起こしてみます。4ベン図作図の指摘に従ってみました。

f:id:nyanmage00:20160520113713j:plain


ただ、作図の正確さより、私にはブクマにあった「タグがたくさんついてるイメージ」というコメントが非常に鋭いように感じます。
「人間の行動はそれまでに身に付けた複数のタグの組み合わせにより一定の類型にパターニングされるのではないか」というのが現在の仮説です。

 

さて、ここまで長々書き綴ってきましたが結局何が言いたいか。

「みんな!仲良くしよう!」…結局これだけだったり。

 

ぶっちゃけて申し上げます。
マニア、特にキャラ萌えがなくてもアニメやマンガやゲームを愛好できる私のような生粋のマニアはオタクといえども完全マイノリティです。
他のオタク友達に「○○が好きなんだけど」と振ろうものなら「何!どのキャラが好きなの!?」と質され「いや…別に…」と答えようものなら宇宙人扱いされたり「△△!△△は素晴らしい!絶対はまるから!」などど数時間拘束され強制的に入信を迫られたり…といった思い出が走馬灯のように頭をよぎってうわあああああ(ry

 

…大変取り乱しました。何かがフラッシュバックしたようです。

 

さて、私は自分が多数勢力などと思ったことはこれまで夢にもありません。
好きなカップリングがBLだろうと男女だろうと個人の嗜好であり、それによって人としての優劣が決まるなど土台ナンセンスです。
腐女子だろうと夢女子だろうと関係なく、嗜好を押し付け合わずに仲良く住み分けることができればいいなと願います。
ついでに少数派のマニアにも居住権が認められればいいな、とも思います。

 

ところで、発端になった私のブクマコメですが、星をつけてくれた方が16名いました。
マニア属性をもたない人には???というコメントだったので、きっと私と同じタグがついている方でしょう。
ありがとうございました。この場でお礼申し上げます。

 

*1:はてなIDは1年ぐらい前に取得していますが、はてブツイッターも2週間ほどしか触っていません。にわか乙。もう少し使い込んだら記事修正するかもしれません。

*2:世論なので当然バイアスはかかります。早い時期に投下されたコメントはそれだけで有利になります。

*3:一番スターを集めていたのは「ベン図の書き方が数学的に正しくない」だったのですが、記事内容には直接関係ないので割愛しました。こういうコメントがトップにくるあたりがはてならしいです。

*4:ゲーム、ボカロ動画等の3DCGキャラクターコンテンツもここに含みます。

*5:より正確にはアニオタという人達が生まれた契機は74年の「宇宙戦艦ヤマト」、79年の「機動戦士ガンダム」だと思います。ただし70年代にはまだSFファンと未分化と思われるため、本稿では主に80年代以降に絞って考察します。また、筆者は70年代生まれです。当時の描写は記録と伝聞に頼るものであることをあらかじめお断りいたします。

*6:エヴァ庵野カントクの描写が最高。1巻は対談までついてます。お得です。

*7:制作委員会方式は今でも賛否が分かれる手法であり、利益率やユーザーへの金銭的負荷、権利関係等問題は多数あります。しかし、作品の多様性という意味では一定のプラス作用をもたらしたと考えます。なお、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は自主製作(インディーズ)です。

*8:アニメ以外の分野では元々の意味を残した例もたくさん見受けられます。また「鉄オタ」「ミリオタ」「声オタ」など、造語に接尾辞的に組み合わせられた場合も意味の変化は少ないようです。日本語変化の法則でしょうか?